古い壺に、新しい酒を

府中の歴史を未来へつなぐ、野口酒造店七代目の挑戦

大國魂神社からほど近い、甲州街道と府中街道が交わる場所に、長い歴史を持つ酒蔵がある。
1860年創業の野口酒造店だ。
ここでは今、日本酒「國府鶴(こうづる)」が造られている。

けれど、この場所で酒が造られていることは、決して当たり前ではない。

野口酒造店では、昭和の終わりに自社蔵での酒造りを休止した。それからおよそ40年。2024年春、再び蔵を動かしたのが、七代目蔵元の野口英一郎さんだ。
この場所でもう一度酒を造りたいという思いを胸に、いくつもの壁を越えてきた。

しかし、野口さんの話から見えてきたのは、酒蔵復活の物語だけではなかった。
受け継いだものを、次の時代にも続く形へ変えていくこと。酒を通して地域の人々をつなぎ、府中の文化を次の世代へ手渡していくこと。
酒造りの復活は、ひとつの到達点であると同時に、その先へ続く新たな始まりでもあった。

野口さんが未来へつないでいこうとしているものは、酒造りにとどまらない。
一本の酒を起点に、人と人がつながり、土地の営みや文化が受け継がれていく。
その先にある、府中の未来を見つめている。

暮らしの中にあった酒造り

野口さんは、野口酒造店の長男として府中で生まれ育った。
家と同じ敷地内に酒蔵があった野口さんにとって、酒造りのある風景は幼い頃から日常の一部で、酒蔵で遊ぶこともあった。
そこで感じた雰囲気や音、香り。五感を通して刻まれた酒蔵の記憶は、年齢を重ねた今も残っているという。

家業を継ぐよう、両親から言われたことは一度もなかった。それでも、代々続く家に生まれ、周囲から「いつかは継ぐのだろう」と見られる中で、野口さんの心には次第に家業への意識が芽生えていった。

すぐに家へ入るのではなく、野口さんはサントリーへ就職。家の外から、酒の世界に触れる経験を重ねた。
家族や店を取り巻く状況の変化を受け、府中へ戻ることになる。

しかし、その頃には、野口酒造店での自社醸造はすでに休止していた。酒蔵は残っていても、幼い頃から身近にあった酒造りは、そこにはなかった。
それでも野口さんの中には、いつかこの場所でもう一度酒を造りたいという思いが、消えずに残っていた。

夢より先に、信用を積み重ねる

再びこの場所で酒を造るには、設備や技術、人材、そして多額の資金が必要になる。
さらに、都市部にある酒蔵には、建物や土地に関するさまざまな制約もあった。

酒造りを再開したい。
そう願っても、思いだけで酒蔵を動かすことはできない。

野口さんがまず取り組んだのは、酒蔵復活そのものではなく、酒販店「中久本店」の経営を立て直すことだった。
目の前の商いに向き合い、利益を生み出し、従業員とともに店を育てる。金融機関や取引先から信頼してもらえるよう、一つひとつ実績を積み上げていった。

酒蔵を復活させたいという夢の裏側には、周囲からは見えにくい、長い準備の時間があった。
夢を語る前に、まず日々の仕事を積み重ねる。
野口さんの酒蔵復活は、そんな地道な歩みから始まっていた。

人との縁が、酒蔵を再び動かした

酒蔵復活を進めるきっかけとなったのが、東京農工大学農学部の研究室からの依頼だった。
そこで開発された新品種米「さくら福姫」を使って酒を造ってほしい——。その話を受け、野口さんが長く思い描いてきた酒蔵復活が、現実の計画として動き始めた。
府中市内の農家も「さくら福姫」の栽培に取り組み、府中で育った米も國府鶴の原料米として使われるようになった。

一方で、米があれば酒が造れるわけではない。
既存の酒蔵を現代の酒造りに対応した施設へ生まれ変わらせるには、設計や設備、醸造に関する専門的な知識が必要だった。
壁にぶつかるたびに、誰かが知恵を貸してくれた。必要な人を紹介してくれた。その縁が次の縁へとつながり、酒蔵復活に必要な準備が一つずつ整っていった。

野口さんは、酒蔵の復活を自分一人の功績として語らない。
何度も口にするのは、周囲の人への感謝だ。
一本の酒ができるまでには、米を育てる人、設備を整える人、酒を醸す人、届ける人など、多くの人の仕事がある。
酒蔵の復活は、そうした人たちの力に支えられて実現したものだった。

伝統を残すために、新しくする

復活した酒蔵には、温度や発酵の状態を細かく管理できる新しい設備が並ぶ。
それは、昔ながらの酒蔵とは少し違う光景かもしれない。
けれど、野口さんにとって、新しい技術を取り入れることは、伝統を手放すことではない。酒造りをこの先も続けるために必要な選択だった。

酒造りを取り巻く環境も、時代とともに変化している。
昔とまったく同じ方法だけにこだわるのではなく、何を守り、何を変えるのかを見極める。

野口酒造店が企業理念として掲げるのが、「不易流行(ふえきりゅうこう)」と「古壺新酒(ここしんしゅ)」だ。
「不易流行」とは、変わらない本質を守りながら、時代に合わせて新しいものを取り入れること。
「古壺新酒」は、古い壺に新しい酒を入れるという意味を持つ。

昔の姿をそのまま再現するのではない。受け継いだものを、次の世代が続けられる形へと整えて渡していく。
野口さんにとって伝統とは、過去をそのまま保存することではなく、未来へ続くように手を入れ続けることなのだ。

一本の酒を、地域みんなで造る

復活した酒蔵で造られている日本酒が「國府鶴」だ。
「國府」は、かつて武蔵国の国府が置かれていた府中で酒を造る、という思いからつけられたもの。
「鶴」は、酒の銘柄にもよく使われる縁起のよい存在であり、野口さんはそこに「凛とした印象」を感じているという。その凛とした佇まいを、目指す酒の味わいにも重ねている。

國府鶴の酒造りでは、東京農工大学が開発した「さくら福姫」も原料米として使われている。
それぞれ別の仕事をしている人たちが、一本の酒を造るためにつながっていく。
研究者が米の品種を開発し、農家がその米を育て、酒蔵が醸し、地域の人が飲む。

酒蔵だけで良い酒を目指すのではなく、地域のみんなで一本の酒を造っていく。
野口さんは、こうした酒造りが府中の農業を支えることにもつながればと考えている。

「東京の地酒」を、武蔵国から

野口さんが大切にしている構想の一つに、「武蔵日本酒テロワール」がある。
その背景にあるのは、東京の地酒を、もっと身近な存在として選んでもらいたいという思いだ。

國府鶴の酒造りの原点には、武蔵国の総社・大國魂神社の御神酒造りがある。
そこで焦点を当てたのが、「東京」という現在の行政区域だけではなく、府中に国府が置かれていた「武蔵国」という地域だった。

武蔵国には、現在の東京都・埼玉県のほぼ全域と、神奈川県の一部にあたる地域が含まれる。
その地域で育てられた米を使い、かつての国府である府中で酒を造る。
それが、「武蔵日本酒テロワール」だ。
現在は、埼玉県の農家にも契約栽培で米を育ててもらい、少しずつ農家とのつながりを広げている。

そして、この構想には、酒造りを超えた願いも込められている。
米を作る農家の収入が安定し、農業を続けていけること。後継者不足が課題となる中、新しく農業を始めたい人にとっても、「買ってくれるところがある」「使ってくれるところがある」ことが、一つのきっかけや選択肢になること。
東京農工大学とも連携し、暑さによる米への影響など、変化する環境にも向き合いながら、より良い酒米づくりに取り組んでいる。

武蔵国で米を育てる人がいて、府中で酒を造る人がいる。そして、その酒を地域の人が飲む。
「東京の地酒」として、武蔵国で育った米を使い、府中で造られた國府鶴が選ばれる未来を、野口さんは思い描いている。

酒が、人と人をつないでいく

野口さんは、人と人との縁が疎遠になりつつある今だからこそ、顔を合わせて言葉を交わす時間を大切にしたいと話す。
スマートフォンが身近になり、LINEやメールで気軽にやりとりできるようになった。一方で、文字だけでは伝えきれない感情もある。
誰にでも、言いづらいことや話しにくいこと、誰かに聞いてほしい悩みがある。

「なかなか言い出しにくいときには、お酒の力を借りてもいいのではないでしょうか」

酒を飲むことで緊張がほぐれ、普段なら出てこない言葉やアイデアが生まれることもある。固まっていた気持ちがほどけ、人との交流が深まり、その人自身の考えが引き出される。野口さんは、酒にはそんな力もあると考えている。

酒を造る人からのその言葉は、ときにはお酒の力を少し借りながら、顔を合わせて、心の内を話してみませんか——そんな小さな提案のようにも聞こえた。

「普段から、なるべく笑うようにしているんです。悲しい顔や困った顔をしていると、それが仕事にも出てしまいます。だから、なるべく大きな声で笑うようにしています」

地域の中で、受け継ぐもの

野口家が受け継いできたものは、酒蔵だけではない。
野口さんは、大國魂神社の責任役員を務めるほか、地域のさまざまな団体や活動にも関わっている。取材時にも、「両手では足りないくらい、いろいろな役をやっています」と話していた。

その中には、野口家だからこそ担ってきた役目もある。

府中を代表する祭りの一つ、くらやみ祭では、「野口仮屋の儀」という神事が行われる。
大國魂大神が府中へ来られた際、野口家でお泊めをし、おもてなしをしたという伝承をもとにした神事で、宮司・神職をご祭神に見立て、野口さん自身が斎主を務める。

「これも、代々、野口家が受け継いでいかなければならないものです。途絶えさせてはいけません」

酒蔵を守ること。地域で役割を担うこと。そして、代々続いてきた神事を受け継ぐこと。
野口さんは、自身について「いろいろなものを背負っている」と話す。
商いとは別に、地域の歴史や文化を守っていかなければならない。その責務とプレッシャーもまた、野口さんが受け継いできたものの一部だ。

自分が守るだけでは、未来へ続かない

野口さんが地域の中で意識しているのが、世代をつなぐ役割だ。
自身が若かった頃、地域の場で意見を出した際に、「お前はそんなことを言える立場ではない」と言われたことがあるという。
その経験があるからこそ、今度は自分が若い人たちの声を聞く側でありたい。
新しい意見や提案を最初から否定するのではなく、一緒にできることを考えていきたいという。

地域の文化を守ることと、新しい人を迎えることは、対立するものではない。
祭りや消防団などの地域活動も、初めて参加する人から見れば、閉鎖的に感じられることがある。
これからは、より多くの人が活動を知り、参加できる形へとひらいていくことも大切だと野口さんは考えている。
活動に参加して「楽しい」と感じてもらえれば、この街を好きになってもらえるのではないか。

上の世代が受け継いできた知恵や文化を伝えながら、若い世代や新しく府中へ来た人の感覚や発想も地域へ迎え入れる。
野口さんは、その間をつなぐ「パイプ役」でありたいと話す。

それは、酒蔵の在り方とも重なる。
古いものを守りながら、新しいものを取り入れる。受け継いだものを自分の代で抱え込まず、次の人が関われる形へひらいていく。

酒蔵を地域にひらいていくこと。
新しく府中へ来た人にも、祭りや地域の文化を知ってもらうこと。
野口さんの歩みには、受け継いだものを「閉じない」という姿勢が一貫している。

次の100年へ、府中の物語を渡す

野口さんには、酒造りを通して実現したいことが、まだたくさんある。
國府鶴を、府中の人に愛される酒にすること。
全国の人に、東京の府中にも酒蔵があり、この土地ならではの酒が造られていることを知ってもらうこと。
そして、大國魂神社へ奉納する御神酒として、日本一おいしい酒を造ること。

けれど、野口さんが願う未来は、酒蔵の繁栄にとどまらない。
酒米を育てる農家が、これからも農業を続けていけること。若い人が地域の活動に関わり、新しく府中へ来た人も、この街の歴史や文化に触れられること。
人や仕事、文化がつながりながら、府中という街の暮らしが未来へ続いていくことを願っている。

最後に、この記事を読む方へ伝えたいことを伺うと、野口さんはこう話してくれた。

「日本の食文化、東京の食文化、府中の食文化を守っていきたい。それを、みんなで一緒に守っていきませんか、と伝えたいです」

食文化は、農家だけでも、酒蔵だけでも守ることはできない。
つくる人がいて、それを選び、味わう人がいる。その積み重ねが、地域の営みを次へつないでいく。

酒造りもまた、一度復活させれば終わりではない。
造り続け、伝え続け、飲んでもらい、次の担い手へ渡していく。

古い壺に、新しい酒を。
受け継いだものを、次の時代に続く形へ変えながら。
およそ40年ぶりに酒蔵へ戻った酒造りの音は、府中のこれからを、今日も静かに醸し続けている。

プロフィール
野口 英一郎(のぐち えいいちろう)

1860年(万延元年)創業・野口酒造店の七代目蔵元。酒販店「中久本店」の経営にも携わり、2024年春、およそ40年ぶりに自社蔵での酒造りを復活。日本酒「國府鶴」を醸す。大國魂神社の責任役員を務めるほか、府中観光協会会長など地域のさまざまな役目を担う。日本酒を通して府中の魅力を伝える活動にも取り組んでいる。

野口酒造店

〒183-0056 東京都府中市寿町2丁目4-8
TEL:042-361-2221
公式ホームページ https://www.noguchi-brewery.co.jp/
公式Instagram https://www.instagram.com/noguchi_brewery/
公式X https://x.com/kouzuru1860

酒座 中久本店(國府鶴取扱店)

〒183-0022 東京都府中市宮西町4丁目2-1
TEL:042-362-2117
営業時間:月〜土 10:00〜20:00/祝日 10:00〜19:00/日曜 12:00〜18:00(不定休)
※営業日・営業時間は変更となる場合があります。最新情報は公式ホームページ・SNSをご確認ください。
公式ホームページ https://www.nakakyu-honten.com/
公式Instagram https://www.instagram.com/nakakyuhonten/

ライター

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編集部より

「府中が好き」は、ハッピーカーズ府中店 が運営する地域メディアです。
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本記事は、その活動の一環として、府中で活躍する人や想い、取り組みを記録し、発信しています。